挫折を乗り越え、体づくりの大切さを実感 〜プロバスケットボールプレーヤー 二上選手インタビュー〜

Bリーグの強豪チームに所属する二上選手。小学生時代から始めたバスケットボールとの歩み、数々の怪我や病気という試練を乗り越えてきた彼に、予防医学の専門家である坂田武士が話を聞きました。バスケット人生と、そこから気づいた「体づくり」の重要性について語ってもらいました。

バスケットボールとの出会い

「まずはバスケットボールを始めたきっかけから教えていただけますか?」という坂田の問いかけに、二上選手は柔らかな表情で答えます。

「3人兄弟の末っ子で、自分は本当にその2人の影響でバスケットを始めたんです」

小学1年生の頃から本格的にバスケットに打ち込み始めたという二上選手。当時から体格に恵まれていたと言います。

「小学1年生で身長が130cmありました。入学時にしては高い方だったんです」

その後も順調に成長し、小学6年生のときには165cmに達していたそうです。バスケット選手に必要な素質を備えていたようです。

「漫画のヒーローや有名選手に憧れたりしたのでしょうか?」と坂田が尋ねると、二上選手は首を横に振ります。

「漫画は読んでいましたが、特に憧れの選手というのはいませんでした。本当に兄と姉の影響が大きかったです」

才能を見出された少年時代

「小さい頃から才能があると周囲に言われていたんですか?」という質問に、二上選手は謙虚に微笑みます。

「外部から来ていたコーチが才能を買ってくれていました。シュートはもちろんですが、指導者の言うことを見て、すぐにプレーに取り入れられるところを評価されました」

二上選手は続けます。「ディフェンスを教わったらすぐできるし、オフェンスも同様。それが自分の中でできたのは、ずっと兄と姉のバスケットの姿を見てきたからだと思います」

「中学時代の指導者との思い出はありますか?」と坂田が話題を広げると、二上選手の表情が明るくなります。

「中学校の先生は『お前を大きくしないと駄目だ』と言って、給食では牛乳を2人前も飲まされました。昼休みまで食べ続けていたほどです」と笑いながら振り返ります。「確かに中学1年生の終わり頃には急激に身長が伸びたので、その影響はあったかもしれませんね」

高校時代の試練

「高校ではどんな生活を送っていたんですか?」と坂田が尋ねます。

「地元の名門国立高校に推薦入学しました。朝練習して、授業に行って、4時から7時頃まで練習。そこから自主練やトレーニングという生活でした」

しかし高校1年生の冬、二上選手はバセドウ病を発症します。坂田がその時の状況を尋ねると、二上選手は少し表情を曇らせながら答えます。

「バスケットの調子もあまり良くなく、そこに病気まで加わって、苦労した1年でした。当時はサッカー選手の本田圭佑さんも同じ病気でした。目が突出するような症状もあり、衝撃的でしたね」

「バセドウ病の症状はどのようなものだったのですか?」と坂田が掘り下げると、二上選手は当時の状況を詳しく語ります。

「人より多くエネルギーを使ってしまうので、食欲があって食べているのに、どんどん体重が減っていきました。そのときは本当にガリガリでした」

「その困難な時期をどう乗り越えたのですか?」という問いに、二上選手は前向きに答えます。 「高校2年生、3年生と上がるにつれて病状が安定し、バスケットも徐々に取り戻していきました。あの1年間は自分を見つめ直す時間になった。今思えば良い経験だったと思います」

大学での栄光と挫折

「大学ではどのような成績を残されたんですか?」と坂田が質問します。

「筑波大学に進学して、『文武両道』が求められる厳しい環境でしたが、大学2年生のときにはインカレで優勝することができました」しかし、同時に全十字靭帯(ACL)断裂という大怪我も経験します。

坂田が当時の状況を尋ねると、二上選手は静かな口調で語り始めます。

「本当に調子が良かったんです。大学に慣れてきて、感覚も良くなってきた矢先の怪我でした。最初は何が起きたのかもわかりませんでした。病院に行って初めて靭帯が断裂していると知ったんです」

「リハビリは大変だったのではないですか?」と坂田の問いに、二上選手は深くうなずきます。

「ACLのリハビリは大変だと言われています。コロナ禍とも重なって、さらに困難でした。家よりもバスケットコートにいる時間の方が長かった人生だったので、体育館に行けないという違和感はずっとありました。いつまでこれが続くのだろうという不安感はすごくありました」

坂田が「それでも諦めずにリハビリを続けた原動力は何だったのですか?」と尋ねると、二上選手は「バスケットへの思いですね」と答えます。そして大学3年生の10月には大会に復帰し、その後のインカレでは準優勝という成績を残しました。

プロの世界での再挫折

「大学卒業後はどのような経緯でプロになられたのですか?」という坂田の質問に、二上選手は答えます。

「2022年に大学を卒業して、千葉ジェッツからのオファーを受けて入団しました。仲の良かった大倉選手から『一緒に行こう』と声をかけてもらったのも大きかったです。当時の千葉ジェッツはチャンピオンシップで優勝したばかりの強豪チームでした」

「プロの世界に入って感じたことは?」と坂田が質問を投げかけます。

「大学とプロとでこんなに違うのかと感じました。戦術面もフィジカル面も全く異なり、最初は悩んだ時間が多かったです」と二上選手は率直に答えます。

しかし、徐々に環境に適応していった矢先、2023年1月に反対側のACLを断裂するという悲劇が再び訪れます。坂田が「2度目のACL断裂はさぞかし辛かったでしょうね」と共感を示すと、二上選手は当時の心境を語ります。

「もう一度大怪我をするとは思ってもいなかったので衝撃的でした。本当に悔しかったです。」

坂田が「その後もさらに大変な時期があったと聞いています」と話を促すと、二上選手は頷きます。

「2023年11月30日には島根との試合で3度目のACL断裂を負いました。怪我の前は調子が良くなってきていました。自分でも『これならどんどん良くなっていく』と感じていたタイミングだったので、怪我をしたときは、もうバスケットをやめようかとさえ思いました。本当にどん底の状態でとても辛かったのを覚えています。2024年の夏頃、リハビリ期間中にバセドウ病も再発しました」

体づくりの重要性に目覚める

ここで坂田は話題を変え、「これだけの怪我や病気を経験されて、健康に対する考え方は変わりましたか?」と質問します。二上選手の表情が変わります。

「怪我が多かったので、自分の体を守るために何が必要なのかを真剣に考えるようになりました」

「具体的にどのような変化がありましたか?」という坂田の問いに、二上選手は食事への意識の変化を語ります。

「バセドウ病になって、食べるものから気をつけないといけないという思いが強くなりました。化学調味料よりも天然素材を摂りたいという気持ちから、自分なりに体と向き合いながら、何を摂取するか考えるようになりました」

坂田が「栄養面での取り組みは何かありますか?」と尋ねると、二上選手は具体的な経験を話します。

「チームの栄養士からの紹介で坂田さんと知り合い、サプリメントの重要性も認識するようになりました。最初に栄養状態を測定したとき、特に野菜の摂取が少なく偏りがありました。好き嫌いがあって、それがもろに出ていたんです」

「現在は栄養バランスを意識した食事とマルチビタミンミネラルを取り入れて、大きく改善しています。疲れやすいタイプなのですが、サプリメントを飲み始めてから練習中の疲労感が減ったように感じます」

ファンの支えとチームの魅力

「怪我や病気と闘う中で支えになったものは何ですか?」と坂田が尋ねると、二上選手の表情が明るくなります。

「千葉ジェッツのブースターは熱量が高く、選手思いの方が本当に多いです。『待ってるよ』という声をたくさんかけていただいて、そういう声に救われました」

坂田が「ファンとの触れ合いも多いのでしょうか」と質問すると、二上選手は笑顔で答えます。

「Instagramのフォロワーは1万5000人を超えていて、若い世代から年配の方まで幅広い層に支持していただいています。街中で声をかけられることもあります。千葉のファンは熱心な方が多いですね」

「バスケットボールの魅力を教えていただけますか?」という坂田の問いかけに、二上選手の目が輝きます。

「バスケットは展開が早いスポーツです。野球やサッカーにはない点の入れ合いがあり、見ていても飽きない、流れるようなスポーツです。Bリーグができて、オリンピックやワールドカップの影響もあって、今はバスケットがとても人気になっています」

未来への展望

最後に坂田が「今後の目標を教えてください」と質問すると、二上選手は力強く答えます。

「まずは千葉ジェッツで試合に出て、チームの勝利のためにプレーし、3冠を取りに行きたいと思っています。そして将来的には日本代表でプレーしたいという思いもあります」

「これまでの経験から学んだことは?」という坂田の質問に、二上選手は静かな決意を語ります。

「怪我をしない体づくりが本当に大事だということです。体の中からのケアも含めて継続していきたい」

「新しいアリーナの魅力を教えてください」という坂田の問いに、二上選手は「かつては4,000〜5,000人規模だった船橋アリーナが、現在は1万人を収容できる新アリーナに変わりました。選手と観客の距離が近く、迫力があります」と答えます。


インタビューを終えて、坂田は感じた。幾度となく訪れた怪我や病気という試練を乗り越えてきた二上選手だからこそ、体づくりの大切さを身をもって理解しているのだと。その経験と知識は、プロスポーツ選手だけでなく、健康を意識する全ての人にとって貴重な示唆を与えてくれる。

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