
金沢の古刹で幼少期を過ごし、左官職人の仕事に魅了され、そして世界で活躍する建築家となった黒崎氏。25年にわたり、住空間の新しい可能性を追求してきた氏に、創造性の源泉となる心身の健康管理について語っていただきました。四半世紀の時を経て、建築家としての視座は「形」から「場」へ、そして今、人々の暮らしの質を高める「健康」という新たな領域へと広がりを見せています。

Photos by Masao Nishikawa
―黒崎さんの一日は、早朝のランニングから始まると伺いました。
黒崎:はい。家の近くの神宮外苑を走っている時間は、私にとってとても特別な時間です。最初は自分の足音や息遣い、心臓の鼓動しか聞こえない。そんな静寂の中で、徐々に周りの音が聞こえてくるんです。虫の声、鳥のさえずり、そして少しずつ街の音が。日常ではなかなか味わえない、自然と対峙する貴重な時間です。
この約1時間のランニングの間、今手がけているプロジェクトのことを考えています。普段の喧騒の中では見えてこない視点や、新しいアイデアが浮かんでくることが多いんです。
―その静けさの中から、創造性が生まれるんですね。
黒崎:そうですね。私は午前中の4時間を、物事を考え、創造する時間として決めています。朝のランニングで整理された思考が、その後の創造的な仕事につながっていく。これは長年かけて確立してきた自分なりのリズムです。建築家の仕事は、ある意味でアスリートに似ているかもしれません。持続的なパフォーマンスを維持するためには、適切なコンディショニングが欠かせないんです。

―建築家としての黒崎さんの原点は、お寺での経験にあるとお聞きしました。
黒崎:私が生まれ育った実家は、430年という長い歴史を持つ金沢のお寺です。常に開かれた場所で、全国から様々な人が訪れる。お盆の時期はもちろん、日常的にも多くの方が来られる。お寺は文字通り「オープン・ザ・ドア」的な空間でした。
今思えば、そこで「場」というものの本質を学んでいたのかもしれません。人々が集い、対話が生まれ、そして日々何かが変化していく。
建築もまた、そういう場を創出する営みなのだと、後になって気づきました。
―その環境で、職人さんとの出会いもあったと。
黒崎:古いお寺だったので、修繕のため様々な職人さんが出入りしていました。大工さん、左官屋さん、板金屋さん、経師屋さん。特に左官職人の仕事に魅了されましたね。水と土、石灰などで、美しい仕上げを施していく。ムラを見つけると、すっと手が動く。素早く正確仕事を終えて、さっと帰っていく姿に憧れを感じました。
その姿に、最初のクラフトマンシップとの出会いがありました。また、母がファッションデザイナーだったこともあり、ものづくりの感覚やアイデアを生み出すDNAのようなものは、自然と身についていたのかもしれません。
―高校時代、チャールズ&レイ・イームズとの出会いが転機になったとお聞きしました。
黒崎:はい。テレビでチャールズ&レイ・イームズの特集を見たんです。彼は椅子のデザイナーとして知られていますが、実は子供向けのカードゲームや戦争時の担架やギプス、映像作品等、実に多様なものを手がけていました。特に印象的だったのは、彼が制作した科学短編映画「パワーズ・オブ・テン」でした。

―その作品の何に惹かれたのでしょうか。
黒崎:シカゴの公園で寝そべるカップルから始まり、視点がどんどん上がって、合衆国全全土、太陽系、銀河系を捉え、光を観測できない限界まで到達する。そして今度は逆に、5倍の速さでカップルに近づき、人の手の甲の中に入り、皮膚組織、毛細血管、DNA、原子、陽子を捉え、microscopic(微視的)な世界まで降りていき、限界で映像が終わる。
視点は変わらないのに、ズームアップ、ズームバックの変化によって、見える世界が全く違ってくる。
左官の仕事を目の前で見ていた時には気づかなかったのですが、俯瞰することで、それが建築になり、まちづくりになっていく。あるいは、もっと細部まで掘り下げることで、目に見えない世界で現実が構成されていることがわかる。そんなことを示唆する映画でした。
最後にチャールズ&レイ・イームズが「あなたは何者ですか」と問われ、「私は建築家です」と答えたんです。その瞬間、建築家という存在の可能性に目が開かれました。家具や建築も作れる、都市開発や制度設計もできる。見える世界も見えない世界もコントロールし、そういう領域を横断できる創造性に強く惹かれたんです。
―実際の建築家としてのキャリアは、バブル崩壊期と重なりましたね。
黒崎:そうですね。1990年代は世の中が大きく変わっていく最初の時期でした。大企業の住宅商品企画開発からキャリアをスタートしたことが今となっては貴重な経験でした。
建築家という世界を外からじっくりと見る機会を得た。メジャーリーグに直行するのではなく、まずは日本のプロ野球でしっかりと基礎を作るような。その時期に、社会インフラとしての住宅供給や、環境問題、高齢化社会への対応など、建築が担う社会的役割や幅広いデザインや技術の基礎を学ぶことができました。
―その後、独立されて最初に手がけたのは、建築面積がわずか7坪の住宅だったそうですね。
黒崎:ええ。27歳の時です。千代田区の一等地で、当初は立体駐車場の依頼だったんです。でも「家にしてみませんか」とこちらから提案して。「こんな狭いところに家なんてできるの?」と言われましたが、地下を掘って5階建ての家を作りました。小さいながらも都市ならではの機能を活用した新しいライフスタイルの提案でした。
これが後の「SEVEN」という作品になり、29歳でのデビュー作となります。2000年前後は、80年代のファッション、90年代のグルメに続く、「住」のムーブメントが来ていた時期。都心で自分らしい暮らしを実現したいという若い人たちのニーズと、私たちの野心的な提案がマッチ時代でした。

―建築家としての仕事を「医師の問診のよう」と表現されていましたね。
黒崎:そうなんです。基本的には一人一人にヒアリングやインタビューをする。それは過去の生活歴から、現在の暮らしぶりや問題、そして未来にどんなライフスタイルを望むのかという声に対し、を丁寧に耳を傾ける作業です。
ただ、それだけではありません。環境からのメッセージにも耳を傾ける必要がある。土地そのものが持っている力、アニミズム(地霊)的な要素と言いますか。東京などの大都市では見えづらいかもしれませんが、地方に行ったり、海辺や山、森などの自然環境では、その場所固有の特性が建築の形やあり様を導き出してくれる。
―具体的な例はありますか?
黒崎:2012年に手がけた韓国の住宅プロジェクトが、良い学びとなりました。キッチンの設計で一度、失敗しかけたんです。というのも、韓国の食文化について十分な理解がなかった。香りの強い料理が多いため、富裕層の住宅では調理用のインナーキッチンと、配膳用のオープンキッチンの2つが必要なんです。キムチ冷蔵庫や石焼鍋など重量のある食器類が収まる収納のなど、文化に根ざした細かな配慮も必要でした。
この経験から、建築には文化的背景の理解が不可欠だと痛感しました。今では外国人のクライアントが3〜4割を占めますが、それぞれのルーツ、食文化、ライフスタイル、働き方、気質などを丁寧に理解することを心がけています。
―近年、住空間における「健康」の重要性が増しているとお考えですね。
黒崎:ええ。私自身、一生懸命働いていた10~15年目くらいの時に、仕事漬けになって体力の限界も感じました。そんな時、父の仕事との共通点に気づいたんです。父は住職として、人の死に向き合い、残された家族のケアをする。私は逆に、人の生に向き合う。でも今は、それは同じことだと思っています。
つまり、生のプロデュースも死のプロデュースも、人の人生に深く関わる仕事。そして、それを担う私たち自身が心身ともに健康でなければ、本当の意味での支援はできないと。

―クライアントの中にも、健康を重視する方が増えているとか。
黒崎:はい。経営者、投資家、専門家、アーティストなどの第一線で活躍する方々の家を手がけることが多いんです。彼らの多くが、住空間に健康管理の機能を求めます。ジムやプール、サウナ、岩盤浴、瞑想室などのセルフメンテナンス設備を備えた家も増えています。
ただ、興味深いのは、これは単なるトレンドではないということです。
情報化社会の中で、逆説的ですが、世の中が「病んでいる」からこそ、健康への関心が高まっているのではないか。SNSやゲームに没入し、人とは距離ができ、真の充実感が得られない。その中で、「健康」が一つの救いになっている。
―住空間における「健康」は、単なる設備の問題ではないと。
黒崎:そうですね。実は、人々が本当に求めているのは、ジムやプールといった設備そのものではありません。自分の生活や健康を管理し、伴走してくれる真のパートナーの存在なんです。だからこそ、専属トレーナーや専属アドバイザーを起用する方も増えている。
その意味で、私たちは単なる「部屋」を作っているのではない。人々が集い、交流し、互いに高め合える「場」を創出しているんです。
リビングダイニングひとつとっても、そこで家族や友人、ゲストがどのように交わり、どんな化学反応が生まれるのか。そういった視点が重要になってきています。

Photos by Masao Nishikawa
―それは建築の新しい可能性とも言えますね。
黒崎:そうですね。私たちの最終目標は、そこに住む人々の精神が充足し、健康的な生活を送れる場を創ることです。デザインや見た目の美しさは確かに大切ですが、それだけでは不十分。そこで営まれる生活の質を高められるかどうかが、真の価値になると考えています。
今は「ハード」から「ソフト」の時代への移行期だと感じています。物理的に素晴らしい空間をつくることは、ある意味で当たり前になってきた。これからは、その空間でどんな暮らしが実現できるのか、どんな可能性が開けるのか。そういったソフト面での提案力が問われる時代になってきているんです。

―その「ソフト」の時代において、建築家自身の在り方も変わってくるのでしょうか。
黒崎:はい。実は自分自身の在り方が、これまで以上に問われていると感じています。私たちの仕事は、「生き生きとした家」を作ること。そのためには、建築家自身が生き生きとしていなければならない。それは単に健康診断の数値が良いということではなく、心身ともにバランスの取れた状態を保つことが重要なんです。
これは休日だけの取り組みではなく、日々の生活の中に組み込まれていないといけない。私はそれを「ライフデザイン」と呼んでいます。自分自身をデザインしていく。それはフィジカル面でも、メンタル面でも、空間の使い方でも同じ。建築家である前に、一人の人間生活者としての在り方が問われているんだと思います。
―最後に、これからの住空間づくりについて、展望をお聞かせください。
黒崎:25年という時を経て、私たちの仕事の本質は「場」を創ることだと確信しています。それは単なる物理的な空間ではなく、人々の記憶が積み重なり、新たな物語が生まれていく舞台です。お寺で過ごした幼少期に感じた「開かれた場所」の価値が、今、新しい形で蘇ってきているように感じます。
建築家という仕事は、そういう意味でも極めて重い責任や使命が存在します。クライアントの人生の節目に立ち会い、その夢を形にする。その過程で、私たち自身も成長を続けていかなければならない。それは技術的な側面だけでなく、人間としての深みを増していくことでもあるのです。
そして何より、建築は人や社会に対する未来への提案です。今この瞬間の要求に応えるだけでなく、30年後、50年後の暮らしの可能性を示唆できるものでありたい。そのためにも、私たち建築家は、常に自己を更新し続けていく必要があるのだと考えています。

今回、インタビューを受けて頂いたのは

建築家
APOLLO代表 黒崎敏 氏
1970年石川県生まれ。
明治大学理工学部建築学科卒。
2000年に「 APOLLO 」を創設。邸宅、ヴィラ、リゾートホテル、の設計のほか、 企業の商品開発やブランドデザインにかかわる。
世界的デザイン賞である「 Wallpaper Design Award 」 や「iF Design Award」などの受賞歴の他、イタリアの「 Archiproducts Design Awards 」では8年連続で日本人審査員を務めるなど、海外でも高い評価を得ている。
2025年1月には25周年を記念した最新作品集「TIMELESS」がオランダのFRAMEから出版。
APOLLO 公式サイト
https://apollo-aa.jp
最新の特設サイト
Poltrona Frau Suites Motoazabu
https://www.idc-otsuka.jp/poltrona-frau-tokyo-aoyama/suites
作品集出版ニュース
「TIMELESS」
https://frameweb.com/article/book/our-self-titled-apollo-monograph-offers-an-immersion-in-japanese-domestic-design
「TIMELESS」イメージ動画
https://apollo-aa.jp/timeless/

