~生意気な大器、進化するチャレンジャー~パリ五輪選考レースを終えた吉村真晴選手にインタビューしました。

勝つことの喜びと負けることの悔しさの両方を知っているからこその更なるチャレンジ

一流の定義・・・やるべきことが分かり、やるべきことをちゃんとやる
言うのは簡単だけど、やるのは相当難しい。それをやってこその一流。

生意気な自信家であった幼少~中学時代。
お父さん子で、一緒に居られることが楽しかった。小学校から卓球を厳しく鍛えられた。

育ったのは茨城県の東海村です。父が卓球好きで、仕事終わりにちょっとした運動目的で仲間と公民館で卓球サークルみたいなことをしていました。お父さん子だったので、そこに毎日ついていく、それが5歳位です。当時はボール拾いのみで卓球はやりたくてもやらせて貰えずで。そんな卓球との出会いでした。

小学生になって、やっと卓球をやらせて貰えるようになったのですが、父と一緒にいられること自体が好きな時間でした。その頃は自分がオリンピアになるとは全く思ってなかったですが、厳しい父に尻を叩かれたことで卓球をやるしかないと感じ、徐々に全国大会に出たりして、小6で仙台のスポーツ名門校に進学させて貰うことになりました。

親元を離れてからは、ほんとに生意気で言われたこともやらない、でも自分の才能だけはなんか凄い自信があるみたいな。自分にできないことは何もないと(笑) 技術に関してはそうだけど、でも、卓球脳みたいなものは全くなくて、ショープレーヤーみたない感じでした。

これみたら、皆がスゲーと思うんじゃないかみたいな、俗にセンスマン(才能だけでやってているみたいな) 典型的な努力をしない人間でした。どうやってさぼろうかみたいなことを考えていましたし。

そんなことで、中学では勝てなくなり、周りに置いて行かれ、三回戦出場がやっとで。

中学3年の夏に山口県に転校することになりました。

山口国体に出場する為なのですが、選手と監督が丸ごと山口に移動するという形でした。監督が自分を中心にチームを作ってくれたので、初めて自分が必要とされている、自分が卓球をやらなければいけないとの責任感を学び、凄く嬉しかったですね。テレビ取材も入り、練習意欲とか、強くなりたいという思いを覚醒させてくれた出来事でした。

マインドが根底から変わった出来事【高校時代へ】

中学時代(仙台育英)はなんでもある環境で、アスリートが勢揃いしていて、施設が整っていることが当たり前だったのが、山口に行ったら練習場もなく、廃校で練習したり、エアコンがない部屋で汗だくで練習したり、今までが当たり前じゃないんだということを痛感されられ、卓球ができる、それ自体が楽しいことだと気付きました。

卓球ができなくなることで、できる時の嬉しさというか、できる時間をどう有意義に過ごすかということを考えさせてくれたし、自分にとって貴重な体験でした。

(戻ることができたら、今の知識を持ったまま中一に戻りたいですね(笑) トレーニングの大切さだったり、運動神経も発達できただろうし、選手としてもっと成熟してやれていただろうし、三年間もったいない時期を過ごしたと思います。)

高校からは卓球で勝つ楽しさを覚えたといいますか、有名な選手と対戦して勝てるようになってきて、もしかしたら代表クラスでやれるんじゃないかと。

高一、高二で徐々に全国で勝てるようになって、高三で初めてJNT(ジュニアナショナルチーム) に選ばれました。その時出場した国際大会でシングル、ダブル、団体で優勝(3冠)したり、意外と世界でいけるんじゃないかと期待が膨らんで行きました。

高三の夏前のアジアジュニア大会にて日本人で初めて優勝。そこから一気に駆け上がって行くことになります。7月には全日本選手権で(水谷さん破って)優勝したり。3年前では考えられなかったです。

(通常中学から国際大会に出てというのが多い中で、自分は高校からの国際大会出場ということで、卓球界の異端児と呼ばれ、一気に出てきた選手と言われていました。)

一気に駆け上がって行った大学時代

大学に入ると再びまた生意気な自分が出てきて、裏では全力でやって負けたらどうしようという無駄なプライドを獲得してしまって。

自分は世界に目を向けているのに実際、自分の世界ランクは低いみたいな矛盾に対して葛藤があって、大学二年の時に、じゃあもっと世界に目を向けるのなら、ドイツに行くしかないということで、ドイツのプンデスリーガに1シーズン行くことになりました。

ドイツでは、プロの卓球選手と共に生活して、トレーニングして、日本語は喋れないし、横着できないし、卓球と向き合うことしかできない環境でした。食事も自分で作らないといけないし。

そのことが大きな収穫となり、日本に帰って来て又変わりましたね。海外でハングリー精神みたいなものがついて、自分はあれだけやってきたのだから、負けるわけがないと。

都度、人とのめぐり合わせがあって、それは自分の運の良さだと思うのですけど、自分が困ったり、抜け出せなくなって、こういう人がいたらいいなと思うと、そんな方に出会ってきて、坂田さんもそうなんですけど、それが繋がって今の自分があります。

ドイツに渡った時は、世界ランキング110位だったのが、大学3年の3月にスペインオーブンで初めてワールドツアーに呼ばれ優勝して40-50位に一気に上がって、その後すぐの5月に世界選手権が行われて、石川さんとダブルスで銀メダルとって、その後のクロアチアオープンでも優勝、ジャパンオープンで2位になり、気付いたら世界ラングが20位になっていました。そこでケガをしたんですが、痛み止めをうって、テーピングしまくって8月末のチェコオープンで2位。そこでリオオリンピックの代表権を得ることになりました。

2016年リオ五輪で男子チーム銀メダル

熱狂すること

やはり卓球ですね。勝利の喜びを知っているし、負けた時の悔しさも知っている。

自分のカラダもベストに持って行かないと良いパフォーマンスも生まれなくて、ただただ練習していれば強くなるわけでもなく、そこまでの過程でどうやってカラダを作るか。いろんなことを経ての試合が始まって、何百人という出場選手がいる大会で優勝者が生まれる。

皆が本気でやりあっているが故に、そこでトップに立った瞬間の喜びというのは、何事にも変えられないです。

注目されることが好きで、見て貰いたい生粋の目立ちたがり屋なものですから(笑)

見られているからできるというのもあり。そこで勝つことは、熱狂の瞬間ですね。

初めて稼いだのはいつ?

高校三年の時、U18とかで優勝したら、10万とかだったかな、U21だと20万とか、シニアで300ドルとか賞金を貰えたんです。勝つとこうやってお金貰えるんだと。

賞金でユーロを貰った時は、価値が分からなくて、空港で日本円に両替して初めて価値が分かるといった(笑) これがスポーツで稼ぐということなんだなと。今、考えてみたら、それがプロの入口だったと思います。

大学卒業してから、会社を持って、プロの卓球選手になりました。

パリ五輪の選考レースとこれからのこと

もう一回、選手としてやることだけですね。

パリ五輪の選考レースはほんとタフだったし、もちろん悔しい気持ちが凄くあって。もう終わっちゃった、代表落ちたか、みたいな。いろいろあったんですけど、どこか自分の中でホッとしているというか、身心疲れ果てました。

ただ、振り返ってみると、30歳でもこれだけ連戦が続いても怪我無く毎回試合できるってことは凄く良かったことです。途中リタイアした選手も沢山いたし、そんな中で最後までやれたのが一番の収穫ですね。

今後について

これからパンパンにスケジュールが詰まってるんですけど、卓球やる気がなくなることがないように、オンオフはしっかりしていきたいと思っています。Tリーグも8月末から始まるし、ここからほぼ一年間がオンシーズンみたいなもので。

今、世界ランキングが50位なのですが、この一年ほどでもう一度30位以内を目指していきたいと強く思っています。その為の海外遠征だし、5月に初めて中国のリーグに参戦するので、チャレンジもしつつ。刺激をどんどん与えて新しいものを吸収して成長していきたいと考えています。楽しみな部分は凄くありますね。自分がどこまでやれるのかと。

ここからだなという気持ちが強くて、次のロス五輪だったり、まだ30歳でこれからも成長できるんだってところを見せていきたいです。

ただやっているだけだと、8年前の自分を超えることはできないと思うので、食事だったり、身体のメンテナンス、トレーニングを変える、質を求めることで得られる成果だと思っているので、若い時と違った観点で卓球に取り組んで、違ったアプローチで自分を成長させていけたらと考えています。

そのことは本当に楽しいですよ。ちゃんと自分で計算して挑戦していって。

8年前の自分より、今の自分の方が強いと思っているのです。変化し続けることの恐怖心がないですね。何事も挑戦して、周りのスタッフと一緒にまだまだやれるってことを、40、50代になっても示していきたいです。ポジティブなチャレンジャーマインドが自分の良さだと考えているので。

自分なりの健康術

ほんとにサプリに頼りっきりで、後は試合前の食事等、腸活は物凄く気にしています。

腸はめっちゃ大事だなと改めて感じて、睡眠もしっかりとって、今回筋肉痛が起きなかったのも驚きでした。

発酵食品とったり、こまめにビタミンCを摂ったり、免疫を高める為の動きができたことで、安心して自分を追い込めたというか、そのことはほんとに良かったし普通に楽しかったです。

口に入れるものは1人1人が責任もって選ばなくちゃいけないし、30になって、

坂田さんに出会って、何が駄目で何が良いかを勉強させて貰えたところが、今の自分の強さになっています。

試合が始まるとパッとスイッチが入るというか、簡単にスイッチが押せるようになったのも腸を意識し始めてからなので。それまでは相当悪かったと思います。週三で焼肉に行ってましたから(笑) 

ちょっと変えるだけでも変化を感じるし、もちろん付き合いもあるので、アスリートと焼肉行ったりもありますが、食べ方での防御戦もあるし、食べた後もそうだし、その次からの食事でもう一回腸の環境をどうしていくかを考えるし。それをやっているから次の日胃もたれすることがなかったり、朝起きたら絶対腹が減っている状態になるので。

ビッグビジョン 次の目標は

簡単に言ってしまうと、もう一回ロスですね。2028年35歳、怖いなぁ(笑)

まだいけるかな。年齢じゃないと思うし、自分は義務じゃなく好きでやっているだけなので。好きでやっている限りは卓球を続けられるし、カラダに関しては坂田さんからもアドバイス頂いて、いろんなことに挑戦して、感覚としてしっかりしているものがあるので、それを自分なりにこれからやって行こうと考えています。

4年というと遠く感じられますが、一年一年しっかりそれをやっていく。その蓄積が4年後のカラダだったり、腸だったり。更なるパワーを目指してやっていきたいと思っています。

卓球をスポーツだけではない、コミュニケーションツールとして、社会にどう影響を与えるかを研究、社会貢献ができればと考えています。チームビルディング、ビジネス界とも繋がりを持っていきたいですね。 メタやGoogleなどはオフィスに卓球台があったりとか、卓球がコミュニケーションツールになっていくことに貢献できたら嬉しいです

吉村真晴選手 (株式会社SCOグループ) 

吉村 真晴 オフィシャルサイト | MAHARU YOSHIMURA ...
https://maharuyoshimura.com

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