
「金メダル取れば幸せになれるって思っていた自分、それは間違いで。幸せになるために金メダルを取りたいっていうふうに、優先順位が逆になったのです」
北京オリンピック、東京オリンピックと2度の金メダルに輝いたソフトボール元日本代表 峰幸代選手。上野由岐子投手とバッテリーを組み、世界最強のアメリカを破った「奇跡」の立役者だ。
しかし、その道のりは決して華やかなものではなかった。小児喘息でスポーツができない幼少期、北京の栄光の後に訪れた「闇の6年間」、そして戦力ではなく「チームのために」と役割を変えて臨んだ東京オリンピック──。
2つの金メダルの意味は、まったく違うものだったという。予防医療の専門家・坂田武士氏が、その半生と健康への取り組みに迫った。

第1部:ソフトボールとの出会い──小児喘息を乗り越えて
──ソフトボールを始めたきっかけを教えてください。
峰: 幼少期に小児喘息を患っていて、スポーツが全くできない体の状態だったんです。お医者さんに何度もお世話になる時期を過ごしていました。走るとか野球とかは全く私の縁のないものだと思っていたんですけど、父がスポーツ大好きで、水球選手だったんです。オリンピックを目指してほしいなっていう願望があったようで。
──お父さんの夢だったんですね。
峰: そうなんです。喘息の子供が生まれたのに、その野望が全く消えずに(笑)、5歳からプールに通わせて気管を強くしていこうみたいな感じでスタートしたのが、初めてのスポーツでした。そこから小学校3年生で野球を始めて、本当に下手くそで体力もないですし、どうやってこの男の子の中でやっていくの、つらいなっていう思いもあったんですけど。
父の厳しい指導を受けて、ゆっくり成長して、6年生の頃には周りの子と変わらないぐらい一緒にプレーができるようになりました。
──そこからソフトボールに転向されたのは?
峰: そのタイミングでシドニーオリンピック、2000年の大会だったんですけど、それを見てソフトボール競技が世界に通用するレベルにあるってことを知って。私もソフトボールやりたい、オリンピック目指したいということで、中学校からソフトボールを始めました。
──野球時代のポジションは?
峰: ピッチャーとファーストをやっていました。当時のルールで、女の子は4年生以下の大会にも高学年でも出られるルールがあって、それでずっとピッチャーをやっていて年下の子たちにビシビシ投げてっていうのもあったんです(笑)
──昔から肩が強かったんですか?
峰: いや、そんなことは全然なくて。始めた1、2年は塁間届かないぐらいだったので、本当に父と二人三脚で。いつも「自主練ちゃんとやれよ」とか「壁当てしろよ」とか「走れよ」みたいなところを毎日うるさく言われてて。2年ぐらいかかりましたかね。ピッチャーやる前は、ライトとかもう当たり障りのない打球がなかなか来ないようなところに置かれてました(笑)
──キャッチャーになったのは中学から?
峰: そうですね。本当はショートやりたかったんですけど、キャッチャーできる子がいなくて「お前やれ」みたいな。でもそれがなかったらオリンピックとか、野手だともっと難しくなるので、割と私のプレースタイルに合っていたんだなと思いますね、キャッチャーっていうポジションが。

第2部:北京オリンピック──46年間無敗のアメリカを破った理由
──北京オリンピックでの戦いについて聞かせてください。アメリカとの決勝戦は伝説になっていますよね。
峰: そもそもアメリカがすごく強い最強時代でした。オリンピックに種目としてソフトボールが入って以来ずっとアメリカが優勝してきて、世界選手権もずっとアメリカが勝っている状態だったんです。46年間、どの国も勝ったことがない歴史を作っていた国との対戦で。
毎回毎回1試合はするけど、最後に負けるとか、コテンパンにやられるとか、という経験が続いていて。どんなに努力しても、なかなか勝つことが難しいよなっていう、根底にそういうブロックがあったんじゃないかと思ってます。
──それをどう打破したんですか?
峰: 何か特別なトレーニングをしたとか、練習の日にちを増やしたとかではなくて。そのライバルとして、敵として、いつも日本に苦しい経験を与えてきたアメリカではなくて、ソフトボールの素晴らしさとか価値をお互いに発信できる良き仲間なんだっていう捉え方を、ミーティングなどで全員に浸透させたんです。
その恐れとか恐怖、不安みたいな要素を、捉え方次第で変えていった。「アメリカは強い、負ける」というブロックではなくて、良き仲間であり、ソフトボールの価値を最大化させる相手なんだと。
──メンタル面の転換だったんですね。
峰: はい。メンタルの外部講師を呼んでもらって、何回か講義を受けて、使命感とか「なぜ、何のために金メダルを取るんですか」っていうところを落とし込んでもらいました。
私たちが金メダルを取ることによって、ソフトボールの未来が変わっていくのだとか、今ソフトボールをやっている子供たちがもっと頑張ろうって思えるとか。勝ち負けだけじゃなくて、社会にどんな影響を与えるかっていうミッションがバチッとはまったときに、みんなで一丸になれたなと思います。
「世界一のチームを作ろう」っていうふうになりました。「金メダルを取ろう」って結果にフォーカスするのではなくて、その後に何がもたらされるかとか、世界一のチームってどんなチームなんだろうねっていうところをみんなで体現していきました。
──チームが一丸となったときのパワーは違いましたか?
峰: 全然違いますね。そこがバチってはまったときに、勝つ目的ってなんだ、それがたとえ負けたとしても、やりきった感っていうのが絶対残るだろうなと思えましたし。やっぱり勝ち負け、結果だけに生きていくと、もっと出せるエネルギーもなかなか出せなかったり、結果に恐れを抱いて思いきりいけなかったりすると思うんです。
ゼロコンマ何秒の世界で打つか打たないかの判断をするわけじゃないですか。そのときに何を思っているのかって凄く重要だなって思っています。「いける」って思うのか、「どうしよう」って思うのかでは、同じスイングをしていても結果が大きく変わってくる。みんなの恐れが消えたのは、一番大きかったかなと。

第3部:決勝戦──上野由岐子の覚悟
──準決勝から決勝にかけての心境は?
峰: 準決勝あたりで、アメリカ以外には負けないなって思えていました。オーストラリア戦、勝てばゴールドメダルゲーム、負ければ3位決定戦っていう大事なゲームだったんですけど、勝っていたんですよ、最終回まで。
ところが2アウトから相手の9番バッターにパーンとホームランを打たれて、同点になって延長に入っちゃって、12回までいっちゃったんです。
──そのゲーム中はどんな気持ちでしたか?
峰: 楽しくなっちゃう感じで。「ランナー出た、来い」みたいな。多分ホルモン的にもエンドルフィンみたいなのが放出されて、「これは楽しい、負けない、絶対」みたいなエネルギーが凄く高まって。「ずっとこのゲームが続けばいいのに」みたいな感覚が面白いぐらいありましたね。
そのぐらい不安要素がないというか、本当に不安がゼロっていう感覚って、あのときが一番あったように思います。
──勝った後は?
峰: あっという間で。勝ったのは良いのですけど、次の日にゴールドメダルゲームが控えてて、上野さんが12回まで投げてしまったというゲーム展開ではかなり不利じゃないですか。翌日も投げなきゃいけないのに。
アメリカはその日は既に決勝進出が決まっていたので休みなのですよ。なので、めちゃくちゃコンディション良い相手に、フルで12回まで戦いボロボロな我々が、その翌日にアメリカに挑むと考えた時に、「明日は大変なゲームになるぞ」と感じていました。
──上野選手の状態は?
峰: 上野さん、その日はダブルヘッダーだったんです。アメリカに負けたのでもう1試合となって、2ゲームを投げて、しかも延長だったので、手の皮が剥けちゃって。この第1関節から上がもうベロって。
ピッチャーの指先って命なんですよ。最後ピッてかける感覚で、コントロールしたり変化球投げたりするんですけど、3分の2ぐらいが削れちゃってて。それをオーストラリア戦の試合後にベンチに帰ったときに、「見て!」みたいに見せられて、私は「終わった」と思いました。
──それでも決勝は上野選手が投げたんですね。
峰: 上野さんのすごいところは、今までの自分を簡単に捨てられるんです。今までこうしていたからこうしなきゃいけないっていう成功体験が沢山ある人って、多分そこに戻りたいと思うじゃないですか。「こうすれば大丈夫」みたいな方法論みたいなのがあると思うんです。けど、すぐ捨てられる。
「今日は今までの自分にはなれないから、速い球投げられないし、多分変化球もそんなにキレない。だからこそ、今日はコントロール重視で、もう野手に任せて勝ちに行く」っていうことを、試合前に言ってくれたんですよね。「凄いなこの人」と思って。
北京オリンピックって、パフォーマンスとしてはMAXで、スピードが123キロという女子の世界記録を出していたぐらい、パワーもあったしコントロールもあったんですけど、決勝は105、106キロとかしか出ない状態だったんです。
──キャッチャーとしてどう対応したんですか?
峰: 試合前のウォーミングアップでいろいろ話しながら、配球もこれまでの戦いとは違うものにしなきゃいけないっていうところを、その上野さんの一言で割り切れました。中途半端にならずに進めたのかな。
北京の戦いの前までは、アウトコースの低めに攻めていく配球割合が多かったんですけど、インコースにどれだけ攻められるかが鍵だったので、要所要所でそのインコースの要求をする。野手の皆さんにも細かく「下がって」とか「こっち行く」とか。私は最年少でしたけど、先輩たちも指示に徹底してくれたり、納得して守ってくれたので。本当に心強かったですね。
──金メダルが決まった瞬間は?
峰: ほっとしました。今まで先輩たちがこの舞台で金メダルを取るということを目指して、長年鍛錬されて迎えたステージで、私が足引っ張るわけにはいかないと思っていたので。いい形で終われて安心したなってところと、上野さんを最後まであのマウンドで活躍させることができる、そのお手伝いができたっていうのが何より嬉しかったです。
個人的な嬉しさというよりは、ほっとしたとか、一瞬「小学校6年生からの夢が叶った」みたいなところは感じましたけど、安心感の方が強かったですね。

第4部:闇の6年間──金メダリストという重荷
──北京オリンピック後はどうでしたか?
峰: 私は北京オリンピックで夢が叶って金メダルが取れて、凄く嬉しかったんですけど、取ったら取ったで、「金メダリストの峰さん」「金メダリストなんだから」とか「金メダリストのくせに」みたいな、金メダリストという言葉が私の前にくっついて、いろんな評価を受けるようになったり。
「金メダリストだよね」ってことで成績への基準がめちゃくちゃ上がって、私は私なりに頑張っているのに、そんな叱咤をいただいたり、人間関係でもうまくいかなくなってきたり。
──周りからのプレッシャーが大きかったんですね。
峰:周りの目が厳しかったというよりは、多分、自分自身もどこか「金メダル取ったから」みたいなところから、行動や態度、言葉使いとかが良くなかったんだろうなとは思うんです。この頃の若い自分は全然受け入れられなくて、結構つらかったですね。
社会人3年目でメダルを取ったので、その先もまだまだチャレンジするぞって思ったんですけど、ソフトボールがオリンピック競技から外れてしまったこともあり、リオの大会まで2大会なかったんです。
──目標がなくなってしまった。
峰: 現役をやりつつも、世界選手権とかアジア大会はあったんですけど、オリンピックを目指して頑張ってきたのに、それがなくなった今、何を目標すれば良いのか、こんな悔しい思いをする必要ってあるのかなっていうふうに。
結構闇の6年間を過ごしまして。ソフトボール大好きだったんですけど、「ソフトボールが私を苦しめている」って感じるようになって。ソフトボール種目がオリンピックにないし、ソフトボールに未来なんかない・・・と思って、引退することを決めました。
──引退後はどうされていたんですか?
峰: 1年間は実家に帰っていました。夢も希望もなくなって廃人みたいに、何もしてなくて、夜も2時3時とかに寝て昼に起きてくるみたいな、信じられないような生活をしていたんです。
その当時母も私に何も言わなかったですね。「1年間はゆっくりして、多分次なる野望を燃やしていると。だから、心配もしなかったし、見守っていようと思ってた」みたいに今になって言ってくれて。そのとき母がそうやって関わってくれていたことに、凄くありがたいなと思っています。

第5部:復活──「戦力じゃない」と言われて気づいたこと
──東京オリンピックを目指すきっかけは?
峰: その1年間家で過ごしていた時、こたつにくるまっていたんですが、急にテレビで「東京オリンピックが決まりました」ってニュースが流れて。「東京なんだ、すごい」と思ってたら、何日か後に「野球ソフトボールが競技復活します」っていうニュースをバンって聞いたときに、もう飛び起きて。
「これは私に神様が与えてくれたチャンスなんだ」というふうに感じて、今のままじゃもう一生後悔するなと考えて、簡単な道ではないってことも重々わかっていたんですが、金メダルを取ることで幸せになれることを絶対証明したいなって思うようになり、もう一度チャレンジしようと。
急に世の中が色鮮やかになったんですよ。白黒の世界で生きてたんですけど、鮮やかになりました。びっくりしました。やっぱり夢とか希望とか持つことは大事だみたいな話は誰でもわかると思うんですけど、実際に自分のエネルギーになっているんだってことが再確認できた経験でした。
──復帰後はスムーズにいきましたか?
峰: いや、それがですね、全然代表に招集されなかったんですよ。2016年に復帰したんですけど、4年あれば間に合うと思ってたら、1年間のブランクを甘く見ていたっていうか、体が戻ってこない。怪我はするし、反応も悪くなるし、貧血もひどくなったりして。
整ってこないな、レベルが上がってこないなという焦りから、練習しなきゃいけないし、でも怪我してるし、みたいな葛藤が長く続きました。
──そこからどう変わったんですか?
峰: 「選手イコール戦力」だと考えていたいんですけど、チームが勝てればいいんだから、私が打ったとかいいプレイをしたっていうことを置いといて、チームのために何かできること絶対あるよなってところに、いろいろ失ってからやっと気づいて。
私の経験、やっぱり特別なものがあるし、若い選手に活躍してもらうために伝えていけることはたくさんあるし、チームの安定感や結束力を高めていく、そんな役割が私にはあるじゃん、できるじゃんと思ったんです。怪我しても、そういうことはできるじゃんって。
ナンバーワンを目指していた自分から、オンリーワンの自分ってこういうところだなっていう、自分の価値を自分で確認することができて。自分にしかできないチームへの貢献ってあるんだなということにやっと気づくことができました。
──それで代表に招集されたんですね。
峰: 3年ぐらい経った2019年の冬に代表監督から電話が来て、「峰、お前を代表に再招集したい」と言われてびっくり。「準備できてるか」って言われて、「はい、できてます」と応えていました。
そのとき、率直に「お前は戦力として考えてない」と言われたんです。若いときの私だったらきっと「戦力じゃないってどういうことだよ、私バリバリできるし」みたいに思ったと思うんですが、いろいろ失ってやっとわかったんです。自分には自分にしかできない価値があるんだということに。そして監督もそれを求めているんだってことが、もう揺るぎない自信になっていって。
「このチームを何としても世界一にするんだ」っていう思いがそこでバシッと決まりました。

第6部:東京オリンピック──2つ目の金メダルの意味
──東京オリンピックでの金メダルの瞬間は、北京とは違いましたか?
峰:自分にしかできない仕事をやりきったという達成感と、前回とはまた違った嬉しさと感謝。感謝が溢れていたなって凄く思いますね。どれだけ自分が貢献できたかっていうことについても自信もありましたし、みんながそれに応えてくれたところも嬉しかったですね。「こういう勝ち方もあるんだ」という大切さを知ることができました。
勝利至上主義で「打つことが全て」だと考えて戦っているチームは、優勝しても活躍した選手は嬉しいけど、ベンチにいた選手は何かギャップがあるみたいな。でも、1人1人が役割を持って、その自分の役割に徹して、自分の長所をチームのエネルギーに変えていく、凄く大事なことを学べた瞬間でした。
──北京と東京、2つの金メダルの意味は違いましたか?
峰:違いましたね、やっぱり。もちろん北京も最高に嬉しかったですけど、その後に起こる自分への現象が全然違うというか。
目的を持つ大切さとか、結果だけの目標しかない危うさみたいなことが、北京の後に生まれて。「金メダル取れば幸せになれる」と思っていた自分、それは間違いで、「幸せになるために金メダルを取りたい」っていうふうに、優先順位が逆になったんです。
本当にチャレンジしてよかったと思いますし、2つの金メダルの意味合いとか学べたこと、さらにここからどういう貢献ができるかも考えることができて凄く価値のある出来事だったなと思います。

第7部:健康への取り組み──坂田さんとの出会い
──坂田さんとの出会いについて教えてください。
峰: とある講習会で坂田さんを紹介してもらったんですよね。お会いしていろいろ話を聞いて、今メンタルのことやっているってことだったので。
坂田: 僕はインナーからのアプローチなので、お互いのシナジーで何か提供できるんじゃないかってイメージできたんです。ただ、その前に峰さん自身の体調面、腸の悩みがあったんで、僕はまずそこを解決したいなと。
──腸の悩みがあったんですか?
峰: 結構頑固な便秘の悩みが強かったんです。ちっちゃい頃からずっと。
坂田: その中であの戦いを勝ち抜いてきたっていうのは、また凄いですよね。
峰: 確かにアスリートって便秘の人多いですね。
坂田: 僕のお得意の「真の腸活」みたいなことをご説明して、トライしてもらったんです。
──効果はありましたか?
峰: もう数値上がって、体調もめちゃ良くなって。
坂田: 尿検査と腸内フローラ検査をやったときに、便の感じもすぐ変わりましたよね。どんな感じでした?長きにわたる悩みで、そんなすぐ良くなるなんて。
峰: 坂田さんにご紹介いただく前は、排便に1時間40分かかったんですよ。
坂田: トイレに入って1時間って結構な…
峰: もう出産かみたいな(笑)。東京から仙台についちゃいますね、新幹線で(笑)。それが一番長いときで。それがもうスパッと。
坂田: 良かったですね。
峰: でも引退してからまたひどくなっちゃって、そこでまた坂田さんにお世話になって。

あとがき
「金メダルを取れば幸せになれる」──北京オリンピックで頂点に立った峰幸代選手は、そう信じていた。
しかし現実は違った。金メダリストという肩書きは、彼女を縛り、苦しめた。ソフトボールが大好きだったはずなのに、「ソフトボールが私を苦しめている」と感じるようになり、引退。実家のこたつで白黒の世界を生きる日々が続いた。
転機は、東京オリンピック開催と競技復活のニュース。「これは神様が与えてくれたチャンス」──そう感じた瞬間、世界は鮮やかに色づいた。
復帰後、代表監督から告げられたのは「お前は戦力として考えてない」という言葉だった。若い頃の自分なら反発しただろう。しかし、いろいろなものを失った彼女は、その言葉の中に自分の価値を見出した。
「自分にしかできないチームへの貢献がある」
2つ目の金メダルは、1つ目とはまったく違う意味を持っていた。達成感と感謝。そして「幸せになるために金メダルを取る」という、優先順位の逆転。
ソフトボールで勝つために必要なもの──それは技術や体力だけではない。チームが一丸となったときに生まれるエネルギー、恐れを消し去るメンタル、そして1人1人が自分の役割に徹する覚悟。峰選手の2つの金メダルは、その真実を教えてくれている。

